第8章 発達心理学
8-1. 発達研究の歴史
8-1-1. 20世紀前半まで
19世紀末の心理学が成立した頃、生物学の発展と教育の普及を背景に子供を探求する動きが強まった
1877年にダーウィンがわが子の観察日誌を雑誌『マインド』に発表 ドイツでは生理学者のプライヤー(William T. Preyer: 1841-1897)がより組織的な観察を行い、1882年に『児童の精神』として刊行 アメリカではホールが1880年に児童研究運動を開始 ホールは生物学者ヘッケル(Ernst H. P. A. Haeckel: 1834-1919)の「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説に依拠しながら乳児期から青年期までの発達を明らかにすること、大規模な質問紙調査を通して教育に役立つ知見を得ることを目指した。 知的障害のある子どもへの対応という観点から
フランスのビネー(Alfred Binet: 1857-1911)が1905年に発表した知能検査 当時のフランスでは義務教育が制度化され、子供の知能を判定する必要性が高まっていた
政府から委託を受けたビネーはシモン(Théodore Simon: 1872-1961)とともに、様々な課題を年齢別に並べ、どの年齢水準まで達成できるかを見ることで、知能の発達水準を明らかにする知能検査を開発 ビネーの死後、シモンのもとで働いていたピアジェ(Jean Piaget: 1896-1980)は子供が検査項目に対して示す誤答のパターンに関心を寄せ、独自の手法(臨床法)を用いて知能が質的に異なる段階を経て発達することを明らかにした 子供の認知発達は同化と調節との相互作用によって進む 同化: 既存の枠組み(シェマ)に合わせて新しい情報を取り入れていく 調節: 同化がうまくいかないときに既存のシェマを修正して取り入れる ロシアで活躍したヴィゴツキー(Lev S. Vygotsky: 1896-1934)はピアジェのように発達段階を設定することはせず、認知発達における他者との相互作用や、社会文化的・歴史的文脈の重要性を強調した。 教育の役割を重視し、知能検査のように「子供が今、一人でできること」に焦点を当てるのではなく、「大人の援助や仲間との共同があればできること」に焦点を当て、発達を積極的に押し上げるべきだと主張した。
8-1-2. 20世紀後半以降
1950年代に精神分析の流れを汲む二人の理論化が登場
イギリスのボウルビィ(John Bowlby: 1907-1990) ドイツ生まれのアメリカのエリクソン(Erik H. Erikson: 1902-1994) 1960年代にアメリカの心理学会で行動主義から認知過程へと関心が移行するとピアジェの理論に注目が集まるようになった
1970年代には高齢化の進展を背景に老年期の実証的な研究が進み、発達を生涯にわたって続くものと捉える生涯発達心理学が台頭 代表的な研究者として高齢者の知能を研究したドイツのバルテス(Paul B. Baltes: 1939-2006) 遅れていた乳児や胎児の発達についても、測定機器の開発や研究方法の工夫により飛躍的に解明が進んだ。
1980年代に入るとヴィゴツキーの再評価が高まり、発達における社会文化的・歴史的要因について考慮することの重要性があらためて認識されるようになった 8-1-3. 発達観の変化
初期の理論では乳児期から青年期にかけては右肩上がりの変化、その後の安定不変の時期を経て老年期に右肩下がりに変化するという一次元的な味方が主流
研究が進むにつれて発達は多次元的・多方向的なものであると考えられるようになった
知能の発達は青年期にピークを迎え、成人期に入ると下降すると考えられていたが、その後の研究では必ずしもそれが正しくないことを示している
アイデンティティ(自我同一性)も一度確率すれば安定したままというわけではなく、生涯にわたって安定とゆらぎを繰り返すことが指摘されている 現在の発達の一般的な見方
発達には複数の側面があること
変化する方向は上昇や獲得だけでなく、下降や喪失も含むこと
変化する可能性(可塑性)は生涯にわたって続く
8-2. 発達研究の方法: 横断と縦断
横断的研究: ある一時点で異なる年齢の人々を対象に、調査や実験を行い、その違いから発達的変化を見ていくもの 短期間で多くのデータが集められることから、発達研究の多くを横断的研究が占めている
異なる集団を比較することになるため、年齢差の大きい集団を比較する時は出生コホート(同じ年に生まれた集団)の影響が混在しやすくなる 単に年齢によるものか、集団の特殊事情を反映しているのかなどについて、明確なことはわからない
縦断的研究: 同じ人々を対象に、一定期間ごとに調査や実験を行い、その違いから発達的な変化を見ていくもの 実施期間は数ヶ月から十年以上に及ぶ長期的なものまで
変数間の相互関係を調べ、時間的にどの要因が先行しているかによって、因果の方向性を推定することができる
横断的研究と比べると時間や労力、費用がかかる、協力者の脱落や練習効果などの問題が生じやすい
発達的変化を捉えていくには縦断的研究のほうが望ましいとされる
シャイエの分析(Schaie, 2005)
横断的研究では知能は青年期以降、徐々に衰えていくいうデータが得られる
縦断的研究では成人期の知能は安定的に保たれていることがわかる
縦断的研究では一般的傾向に加え、個人ごとの変化の道筋やパターンを示すことができる
アメリカ国立子ども人間発達研究所が行った2歳から9歳までの子供の縦断的研究(NICHD Early CHild Care Research Network, 2004)
攻撃性は平均的には年齢とともに低下するものの、変化のパターンが5つに分かれることが示されている
発達の規定因として古くから大きな関心を集めてきたのが遺伝と環境の問題
20世紀半ばごろまでは遺伝説と経験説が対立する傾向があった
相互作用説: 発達には遺伝と環境の両方の要因が関与しているという見方が主流になった 人間行動遺伝学では一卵性双生児と二卵性双生児を研究対象とし、遺伝要因と環境要因の比率を産出 環境要因
共有環境: 双生児が共有する環境で、二人を似させる要因。主に家庭環境 非共有環境: 双生児が共有していない環境で二人を異ならせる要因。主に家庭外の環境 これまでのところ、心理的・行動的特徴の多くに、遺伝要因と環境要因の双方がそれぞれ4~6割程度関与していること、環境要因として大きく作用するのは非共有環境であることが示されている(安藤, 2014)
発達心理学では環境要因として、親など身近な人的環境を取り上げる事が多いが、ブロンフェンブレンナーの生態学的発達理論に示されているように、個人を取り巻く環境は多層性を持ち、互いに影響し合いながら時間とともにダイナミックに変化している https://gyazo.com/9dc204b880eeb8e173ee449a04d220ef
子どもにとっての親というのもの常に同じ存在ではなく、変化する
親の仕事の状況や夫婦関係、健康状態なども、子供の発達と相互作用する
環境要因には玩具やメディアなどの人工物、教育や医療、福祉などの社会制度、気候や風土などの自然環境も含まれる
近年は遺伝と環境に加え、個人の主体性も強調されるようになってきている
遺伝も環境も当初は与えられたものであり自分で選択することはできない
しかし、人は出生前後から身近な人的・物的環境に働きかけ、さまざまな反応を引き出している
与えられた環境の中から特定の刺激に注意を向けたり、自分の好きなものを選び取ったりしている
発達における主体的制御は成長とともに拡大し、やがて趣味や生活習慣、キャリア選択、対人ネットワーク等となってその人固有の人生を形作っていく
8-4. 発達段階と発達課題
8-4-1. 子どもの発達
胎生期: 胎内で過ごす38週に胎児は人間としての形態と機能を発達させていく 新生児期: 出生から最初の1ヶ月はそれまで母親に依存していた呼吸や体温調節、栄養摂取などを自力で行うことが課題となる 大人の助力なしに生命を維持することは難しいがローレンツ(Lorenz, 1950)が指摘した乳児図式と呼ばれるかわいらしい外見や泣き、表情などによって周囲の人を引きつけている 新生児自身も人の顔や声などによく反応することがわかっている
乳児期: 1歳半頃まで。新生児期に引き続き、養育者の全面的な世話を必要とし、アタッチメントを形成する。 アタッチメント(愛着): 恐れや不安が喚起されたときに、特定の対象にくっつくことで、安心感のか服を図ろうとする心の働き 生後半年頃からアタッチメントの対象が限定され、その人に向けて行動が活発になる一方で、人見知りを示すように鳴る
不安のないときはアタッチメントの対象を安心の基地として積極的に探索活動を行う 身体と五感を使った探索活動は乳児期特有の知能の現れであり、感覚運動期と呼ばれる 1歳から1歳半にかけて人に特有の行動である言語(発語)と二足歩行が見られるようになる 幼児期: 1歳半~6歳ごろ。養育者による世話に加え、仲間との遊びを通して、言語によるコミュニケーション、自己意識、情緒、社会性、認知能力、運動能力が発達する 第一反抗期と呼ばれることがあるように、2~3歳ごろはイヤ、ダメといった自己主張が強くなる ただし客観的にものごとを捉えるのは難しく、見た目に惑わされたり、自分の視点からの見え方にとらわれやすい(自己中心性) 幼児期の終わりには基本的生活習慣が確立し、ルールの理解が進むことから、一定の決まりに沿って行動できるようになる
児童期: 6歳~12歳ごろまで。義務教育が始まり、行動範囲や交友関係が広がってくる 主に学校での活動を通して社会化される一方、個性化も進む
大人よりも仲間の目を意識するようになり、ギャングエイジと呼ばれるような持続的で親密な仲間集団ができてくる 思考は自己中心性を脱し、より客観的な視点から自己やものごとを捉えるようになる
ピアジェの理論で言えば、おおむね具体的操作期に相当し、具体的な事物に対しては論理的な思考が可能になる ただし認知発達には個人差も大きく「9歳の壁(あるいは10歳の壁)」と言われるように、学習内容が高度化・抽象化するにつれ、つまづきを経験する子どもも出てくる 8-4-2. 青年の発達
身体的発育と性的な成熟が進む時期を特に思春期という 第二反抗期と言われることがあるように親に対して反抗や無視をしたり激しい勘定をぶつけたりすることもある アイデンティティとは一貫性と時間的な連続性をもった主体的な自己が現実の社会集団の中で認められた自己との間に一致した感覚を見出すこと アイデンティティを掴むために青年はさまざまな役割実験を試みる
職業体験や進学、インターンシップなど進路に直結する行動
音楽やファッションに凝る、部活動やアルバイトに打ち込む、異性と付き合う、一人暮らしを始めるといった行動
8-4-3. 大人の発達
20~30代にかけては、どのような形であれ、自分を社会の中に位置づけ、ライフスタイルを確立・維持していくことが課題となる
40~50代にかけては一般に働き盛りと言われ複数の役割(多重役割)を担う
中年期危機: 世代間葛藤や職業上の限界、自分自身の体力や気力の衰え、子育てと親の介護のダブルケアなど、いくつかの難題にも直面する 後半を見据えてライフスタイルを軌道修正し、アイデンティティの再体制化を図ることが必要になってくる
60代半ばごろには、仕事からも引退し、時間的な余裕ができる一方で、親しい人との別れなど、さまざまな喪失を経験する
自分自身の機能の低下に適応するためにそれまでのやり方を変えることが必要になってくる
健康な高齢者には経験を積んだ人ならではの知的能力(結晶性知能や英知)の発達や、肯定的な感情の増加がみられる